強烈な大寒波の中、地元伊勢志摩へ降り立ちました。
地元を離れ移住して5年、離れて初めて分かる伊勢志摩の魅力再発見の旅です。そして八重山で学んだことを何らかの形でこの地に還元できるものはないかを探しだすための一歩目です。
写真は英虞湾。
今話題の伊勢志摩サミットの開催地、賢島。
その横に間崎島という小さな有人島があり、存在自体知らなかったですが、友達に勧められふらっと行ってきました。
過疎化が進みあき家ばかりで島の人とは一人も会わなかったのでお話は聞けませんでしたが、何もない昔ながらの島の良さすべて詰まっている素晴らしい所でした。
ちなみに上写真手前の浮きが真珠の養殖。
リアス式の海岸に囲まれた伊勢志摩の海は無数の小さな島が浮かび、外洋のうねりも入ってこないので一年を通してとても穏やかで養殖に適しているといわれてます。
世界で初めて真珠の養殖に成功したミキモトのお膝元ですね。
山が沈降して谷に海水が入り込みできた特殊な地形です。
英虞湾はもっと入り組んで迷路のようになってます。
真珠以外にも英虞湾の隣、的矢湾では牡蠣の養殖もとても盛んです。
湾の奥には緑豊かな山から湧き出た水が川を伝って海へ流れ海に栄養を与えています。
牡蠣にとって川の水がとても重要なんだよ、と小さな港町のおばあちゃんがおっしゃってました。
やっぱり昔から海で育った人は山が海を育てていることを当たり前に理解しているんですよね。
鳥羽市の地域起こし隊で全国から海女さんを募集していたところ、偶然大学の先輩が採用され、移住して海女修行をしているとのことなので会いに行ってきました。
朝一港へ行くと、ちょうど漁師さんの水揚げにも立ち会うことができました。
おばあちゃんとそのお孫さん?家族総出で海から揚げた網にかかった魚を獲ってます。
大きなマダイやなぜか小さなハンマーヘッドもたくさん。他にもタコ、イカ、貝がたくさん採れていました。
手土産に高級魚のハモとマトウダイを頂いちゃいました。
地元に住んでるとほぼ食べることのない地魚、こんなに美味しいものとは驚きでした。
改めて伊勢志摩の海の幸の豊かさを実感しました。
海女さんの中でも班分けされており、漁場も海女小屋もすべて違うらしいです。
山から下りる道から海女小屋全ておばあちゃん達の手作り。
確かにトタンがツギハギだらけでハンドメイド感がハンパない笑
観光化された海女小屋はよくテレビなんかで見ますが、これがリアルな海女小屋ですね。
倉庫には漁に使う機材、体を温めるための薪木がぎっしり入っており、海女小屋の中は中央に暖炉というか火を起こせるスペースがあり、漁が終わった後はみんなで暖をとりながらサザエ焼いたりしているそうです。いいですねー
高齢化が進む海女業界、現在石鏡漁港では50名ほどの海女さんがいるそうですが、9割が高齢者。
こんな素晴らしい人の営みが残る港町なのに残念です。
自分が後を継ぎたいくらいですね笑
でもいつも思うのは、地元に住んでいる頃はこんな小さな港町に何も魅力を感じなかった。存在は知ってても興味もなく来たことすらなかったです。
離れて初めて地元の魅力に気づいたんですよね。もちろん離れても気づけない人がほとんどですが、自分は気づけた。
この違いはなんだろうか?ただ単に自然が好きだからってことでもないんですよね。
多分住んでる時は当たり前すぎて見ようとしなかっただけ。日々の生活に追われ見る余裕もなかったのかも。
海が汚れた、魚が少ない、後継者がいない、そんなことは住んでいる時から知っていましたが、他人事でした。心のどこかで自分には関係ないと思っていました。
でも今の仕事を始めて毎日海に出て、弱い人間が自然の中で生きることの厳しさを知り、人と自然の関わり方について考えられるようになった。
そして人の暮らしは文明の中にあるのではなく、自然の一部なんだってことに気づけたことが大きかったのかなと。
漁師さんや海女さんは生まれ育った時から海に出て当たり前にこのことを考えている。
でも温室で育った自分はよくやく当たり前の事にに気づけ、今までのモノ見方が180度変わりました。
自分は海で自由に好き勝手やりたいように人生を謳歌して死ぬと思っていましたが笑
そんなことしてる場合じゃねーなってなりました。
他人事に思えた事がようやく、自分の中で実感し行動しないと!と思えるようになったのです。
地元で先祖代々守られてきた自然や暮らしを後世にもバトンを渡したいと思えることは人として普通のことです。
じゃぶ石垣もその思いから自発的に楽しみながら動けているんですね。
この感覚、伊勢志摩に住む人たちにも伝えれたら最高だなと思ってます。
春になると岩牡蠣の収穫から海女漁がスタートするらしいので、暖かい時期にまた来て漁に必ず同行し、実体験としてまた吸収していきたいと思います。
伊勢志摩の旅②に続く
ナンペー







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